サイトアイコン らずもねフィーリング

【仙台→大阪・京都・滋賀・石川】3日目(彦根城,琵琶湖)

滋賀県彦根市。東北の生まれ東北育ちの私には,縁もゆかりもない土地。大阪を目指して猪突猛進した初日にはあまり感じなかったけれど,復路に入ったこの日,「思えば遠くへ来たもんだ」と強く実感したのであります。

清水の舞台を飛び降りて石川県まで

京都観光の最後,清水寺を見た後は少なくとも石川県まで北上しようと考えていました。 というのも,この日,京都もしくは滋賀,福井あたりで宿泊すると翌日一度に仙台まで帰らなければならなくなるからです。

恐竜博物館見たさに福井まで来た際,最終日に遊び過ぎて富山県有磯海SAで夕日を拝んで帰った結果,帰り道が超ツラかった経験をしていますからね。なんとしてでも,京都から石川までは北上しておかなければ。清水の舞台から飛び降りる覚悟。石川県までのロングドライブです。

そう言いながら,自分でもわかっていながら,名神高速道路からわずかの彦根城と琵琶湖を素通りするのはもったいない。素通りしたらきっと一生後悔する。いつもこんな感じで立ち寄るところが次々増えていくんです(苦笑)。

彦根城の梁ってスゴいですよね!?

彦根ICを下りて彦根城に到着。

天秤櫓の石垣からは雑草がはみ出していたり。2日前に見た大阪城とは違った印象でした。

限られた時間だったので立ち寄ることもありませんでしたけど,売店も控えめな印象。

入場券を買った場所から結構な坂道を登ってきましたところで琵琶湖が見えました。

天守閣までの道のりは思ったより長く,このような坂道をまだ登ります。

途中,井伊直弼にふんした方と記念撮影をし,やっと到着しました。現存する天守を有する彦根城。国宝四城の一つです。

彦根城の見どころ
関ケ原合戦の戦功により十八万石を賜った井伊直政は一旦,石田三成の居城であった佐和山城に入城する。直政が翌年,佐和山城中で没すると,子の直継は慶長八年(1603年)より新城の築城にとりかかる。これが彦根城である。~出所「ハンドブック 日本の城」~

天守閣に入り最も強く記憶に残ったのが上写真の梁(はり)です。 天守のを支える骨格(構造)には真直ぐな材料を使うのが自然なはずです。意図的に曲がった材を使ったのはなぜか。意匠的なものか。いやそんなはずはない。と自問自答を繰り返しながら梁を眺めました。

彦根城の見どころ(後日談)
この天守は元来大津城の天守であったが,関ケ原合戦まで西軍による大津城攻めにも落ちなかった「目出度い(めでたい)」天守であると,徳川家から賜ったものである。
もちろん大津城の天守をそのまま移築したのではなく,その材木や瓦などを移したもので,解体修理の結果,大津城時代は五重の天守であったことが明らかにされている。
現在も柱や梁にホゾ穴などが見られ,転用材を用いていることがよくわかる。~出所「ハンドブック 日本の城」~

井伊直弼。関連するキーワードに「安政の大獄」とか「桜田門外の変」がありますね。 大阪城でもそうでしたが,久しぶりに歴史の勉強です。

天守から琵琶湖を望む。 次は日本最大の湖「琵琶湖」に行くことにしました。

そして,この時点でようやくホテル予約。食事不要。素泊まりでしたから何より清潔感があったこと,ゆっくり休めたことがよかったです。

この日宿泊したホテル
キャッスルイン金沢

時間がなかったけど琵琶湖の水に触れられたのがよかった

彦根城を出て夢京橋キャッスルロードを通り琵琶湖へ。

琵琶湖へはすぐに到着したまではよかったけれど,十和田湖の休場のようなイメージのドライブインなどには遭遇できず。仕方ないので道端にいったんとまり琵琶湖湖畔へ。琵琶湖を観光したとは言い難い状態でしたが,家族全員それぞれに琵琶湖の水に触れられたのがよかったな。

まとめ

彦根駅前で食事をしようとお目当ての店の前で開店をまっていたのですが,ホームページに記載の時間になっても店は開かなかった(休業日?)ので方針変更。

多賀そば・金亀庵さんで夕食です。

近江牛が入った日本一の肉そばが日本一かどうかはわかりませんが,間違いなくウマイ。もともとのお目当ての店が休業日?だったのが,かえって良かった。

滋賀県彦根市。東北の生まれ東北育ちの私には,縁もゆかりもない土地。 大阪を目指して猪突猛進した初日にはあまり感じなかったけれど,復路に入ったこの日,「思えば遠くへ来たもんだ」と強く実感したのであります。つづく。

モバイルバージョンを終了